神言会の紋章



 今回、神言会(Kamikotokai)として発表させて貰いました。この会には紋章 があります。最初は美しい青の丸(○)の中に白十字が入ったものを使って いました。青色はメタリック調で光輝いており、コンピュータ上では完全に色 の再現は出来ませんでした。
 現在は最終紋として「薩摩紋」になりました。この薩摩紋は漢字の「寿」の 意味を秘めています。この「寿」で「す・ス」を告げます。
 神言会は宗教団体ではありません。また、病気治しや悩み事相談等も承 っておりません。そうしたことは、既存の宗教や有能な霊能者に御相談くだ さい。
 神言会が目的とすることは、神は言葉なりき。言葉を創った神様(創造神)がおられることの証 明。並びに人の胸の中に宿る魂の存在。その魂の中には、お釈迦様の悟りである人には良心と呼 ぶ神が内在をする。これらを知らせることだけを主眼として来ました。
 みろく世に入る為の切符は既存の宗教でも切れます。何故ならば、良心神と呼ばれる存在の教 えは元々はお釈迦様の悟りであり、悪魔や獣の神の状態のままでは教えられないからです。自分 で自分の首を絞めます。
 仮に、その神が前日まで悪魔や獣の神であったとしても、良心神こそ神であると教えを出された 時点で、その神はもはや悪魔や獣の神ではないでしょう。良心神を説きだした時には誠の神。いく らでも、みろくの世行きの切符は切れるでしょう。その保証は言葉を創った神様が保証している証 しが九つ花の仕組み。この仕組みならば、各宗教が良心神を唯一神として説かれるならば全 人類・全霊界の魂を救うことも可能です。その神業に参加された方々はみろくの世で神(上)と成 られることでしょう。私は単に日本の言葉を解読したにしかすぎません。



一人の行者に捧げる文

私が神霊界に修業に入って1年後、伏見稲荷大社講務本庁が催す教師の養成講習会において、
私が出会った一人の行者に捧げる文
 教師養成講習会において、講習生の慰問にやって来た私の導師(女性霊能者)を見て、一人の行
者(某教会の師範代の霊能者)は云った。あれは、あんたの先生か?。凄い先生じゃのう。男でも、
これほど凄い行者は何人もおらん。凄い。しかし、これほど凄い先生をもってしても、あんたを育てる
ことは出来ん。あんたを育てることが出来る者など、どこにもおらん。それは、あんた自身、解っとる
はずじゃ。あんたならばどんな神様でもつく。最高神でもつく。あんたは、どんなに辛くても厳しくても
あんた自身で道を切り開いて行くより他に道はない。
 あんたはいつ世に出るのじゃ。輪廻転生の魂の世界において、あんたに出会えるなど千載一遇の
こと。わしゃ、幾多の人を助ける為に自分の命を削って来た(人には定命があり、その定命を越え
てまで生きることは出来ない。その定命以上の日数を生かさせてやろうとすれば、自分の定命
から、その日数分を削る必要がある)。為に、わしの寿命は定命より短くなってしまった。あんたが
活躍する姿が見られたならば、こんな果報はない。
 私は既存の神霊界から私が五十五になれば宗教家として世に出ると告げられていたので、その
旨を告げると。
 あんたが五十五ではわしゃ死んどるわ。もっと早く何とかならんかのう?。仕方がないのう。ほんな
ら、神様にあんたが世に出られる日まで何とか生かして欲しいと頼んでみる。
 でも、あなたは自分の命を削ってまで幾多の人を助けて来られた為に、定命より早くこの世を去ら
れた。私は、五十五で宗教家として世に出ることはありませんでしたが、ようやく自分の道を見つけ
ることは出来ました。私の導師でも、私を見破れなかった。だが、あなたは私を見破った。ここに、私
が見つけた道をあなたに捧げましょう。 


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