私達は日頃何気なく言葉を使っています。その言葉とは何ぞやとは誰も考え
ては来ませんでした。何故、世界に幾つもの言葉があるのだろうか?。
私達が何気なく使っている言葉とは、森羅万象ことごとく(悉く)創られたであ
ろう創造神と呼ばれる神が創られたものとされています。
しかし、私達人類が森羅万象ことごとく(悉く)創られたであろう神を見ることは
ないのです。
だが、私達が何気なく使っている言葉そのものに森羅万象ことごとく(悉く)創
られたであろう神の教えそのものが入っているとしたならば、どう考えれば良い のでしょうか?。私達は言葉に創造~を仰ぎ見る必要があるのではないのでし ょうか。
大本教の出口王仁三郎聖師は大本教霊界物語の中において、旧約聖書の
初めに言葉ありきを引用し、そのことばの部分に[道]と呼ぶ漢字を振りあてま した。すなわち、初めに道(ことば)ありきとしました。
万物の創世の始めに言葉があったのではありません。しかしながら、この言
葉(御言)と呼ばれる存在があらゆるものを創り出して来たのです。
そして、その言葉(御言)は私達人類が歩まなければならない[道]をも示して
いるのです。
私達は言葉を使っていても、どこにその[道]が示されているのか知ることす
らありませんでした。
大本教霊界物語・第十三巻の信天翁(阿呆鳥)において、大本教の出口王仁
三郎聖師は自分はニセ物だと発表することで、見事にその[道]を私達に教え てくれたのです。
すなわち、美濃尾張の国の中から現れる誠の女子に[道]が示されているの
です。
神霊界が出した大化け物・大本教出口王仁三郎聖師の名演技を通しまして、
大本教神諭、九つ花に咲く一輪の言霊の経綸を解説して行きます。
このホームページは霊界物語(俗称・あほだら長い経)ほどではありません
が、少々長いので神の世界に向かってまっしぐらに進む気力がない場合は振 り落として行きます。この仕組みが理解出来る方は、千人に一人程度になりま すので、理解出来なくても別におかしくはないのです。
誠の度合いが弱いと完全にこの仕組みが理解は出来ませんが、例え[誠]が
何かを理解出来なくても、読まれることによって何か得られるものがあるはず なのです。
何故ならば、これは万物を創造した神が仕組まれたことだからです。
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