第二章・節分の煎り豆に花が咲く

 明治25年(西暦1892年)の節分の夜、丹波の片田舎町綾部で一人の老婆
に神懸かり現象が起きました。その老婆の名を[出口なお]といいます。
 出口なおに懸かった神の名は、それまで人々に鬼門の金神・祟りの金神と恐
れられていた艮金神。その出口なおを開祖として創られた教団が大本教。

人々が、節分の夜に鬼は外と煎り豆を打ちつける鬼の神

 大教では、この艮金神こそ、日本書紀では宇宙創造の神とされながら、悪神
達の手によって[艮]に押し込められた[国常立尊]様だとしました。旧約聖書で
言えば、エホバの神。アラーの神に当たる神になります。
 そして、大本教では節分の煎り豆に花が咲くと大宣伝をしたのです。

節分の煎り豆に花が咲く???
 節分の煎り豆を播いても花など咲くはずもない。大本教は人々に何を告げよ
うとしたのでしょうか?。



国常立尊(命)とみろく神
 
 この大本教の艮金神・国常立尊説は、大本教以後に誕生した多くの日本神道系の新宗教におい
ても、ほぼ認知されたと見ていいでしょう。日本神道系の多くの霊能者もそうした立場を取っておら
れます。日本古来の神道界に関わりますと、日本の神々も艮金神とは国常立尊様のことであ
ると告げられます。
 日本における天神様とは、誰もが菅原道真公と知っています。だが、菅原道真公が天の創造神で
ないことは明々白々の事実。何故に天の神でもない菅原道真公が天神様として祭られるようになっ
たかと云うと、天の創造神は祟りの神・怨霊とされていたからです。菅原道真公も同じ様に怨霊
とされて、天の創造神と同列に奉られたのに過ぎないのです。

 その一方で、大本教はみろく神も宣伝しました。当然、みろく神とは人類の終末前に現れて釈
迦の教えを誠印で説く弥勒菩薩のこと。当時の多くの知識人は、何故に日本神道系の大本教が
仏教の救世菩薩である[みろく]を教義の前面に出したのか奇異を覚えましたが、誰も深い意味は
解らなかったのです。
 大本教が出したみろく神とは艮金神・国常立尊様のことであるとまでは解っても、お釈迦様の悟り
とどう関係しているのかが大本教の教義からは何も見えては来なかったからです。
 大本教が出したのは三五(アナナイ)教の段階で、大本教からはお釈迦様の悟りに関しては
何一つ出されてはいないのです。
 大本教は弥勒菩薩とは言わずに[みろく]神と言いました。菩薩とは、悟りを求め修行するととも
に、他の者も悟りに到達させようと努める者を指す言葉。お釈迦様のような仏陀となる前の者を菩薩
と言います。ですから、菩薩を出したのではないのです。
 大本教が言っているのは菩薩ではなく、宇宙を創造したであろう神。その答えは、節分の煎り豆
に花が咲くにあります。しかし、節分の夜に煎り豆で追われている鬼の正体が何であるかが解
らないと、この答えは解けないのです。 



綾部の殿様と宇志採羅神

 大本教では、それまで鬼門の金神・祟りの金神と恐れられていた艮金神こそ、日本書紀で創造神
と記されていながらも誰もその姿を見ない[国常立尊]様であると言う大胆な説を打ち出しました。

 ところが、これは知識人から大変な不評を買いました。と云うのも、大本教が発祥した綾部藩の殿
様であった九鬼(本来は角がない鬼の字を使う)家は九鬼神道のお家柄で、この九鬼神道で宇宙
の元津神とされていたのが[宇志採羅]神。
 その[宇志採羅][艮]の字に換えただけ。大本教開祖の出口なおの夫が九鬼家に出入り出来
た大工であったことから九鬼神道家の秘文を盗んで言っているだけとの酷評すら出ました。
 そうした知識人の意見では、大本教の意味すら失うでしょう。

 下記の地図は綾部の大本教発祥場所のグーグルの航空写真です。
 これでは解りませんので、その下はグーグルの地図になります。重ねれば意味が多少なりとも解
って来ます。







 大本教出口なお開祖にウシトラ金神と呼ばれる神霊が懸かり、大本教が発祥した土地は新宮(し
んぐう)町と言いました。大本教はこれを神宮(しんぐう)にしたようです。
 地図上で大本本部とされているところは、航空写真で見れば解るように山です。これを本宮山と言
います。
 現在は、この山は神域とされていまして、大本教では立ち入り禁止にしています。
 この新宮とか本宮の地名は、どこから来たのでしょうか?。
 大本教の発祥による地名変更ではありません。

 綾部の新宮・本宮の地名は紀伊熊野より

 綾部藩の殿様であった九鬼家は、熊野本宮大社の別当家でした。
 熊野水軍を率いて鳥羽藩主となって、その鳥羽藩のお家騒動により、摂津三田藩と丹波綾部藩に
別れて、九鬼神道を受け継ぐ家筋が丹波綾部藩主として転封されたのです。
 では、九鬼氏が綾部藩主として転封されて、熊野の地名が名付けられたのでしょうか?。
 そうではないのです。
 綾部に熊野本宮別当家で九鬼神道のお殿様が転封される以前より、熊野の新宮・本宮を意味す
る場所が存在したのです。

 下記の写真は本宮山の横にあります那智山正暦寺の山号です。
 この正暦は正暦の時、正暦の年号を名称として使うことが許されたのです。


【那智山正暦寺】
 正暦寺の説明文よりコピー。
 当山は人皇61代朱雀天皇の天慶五年(942)空也上人当地巡教のみぎり、上人42歳の厄除け
のために聖観世音菩薩の尊像を彫刻され、須知山の頂き「霊山ヶ嶽」に安置された。これが当山の
開創である。この年から数えて、平成14年は一千六十年目であった。
 その後、65代一条天皇の時代、聖楽上人はせっかくの霊仏が山頂に鎮座されて、諸人の尊敬も
十分でないことを歎き、現在の「桜戸」に移し、七堂伽藍を建立し密教伝道の道場とした。これ正暦
二年(991)のことで、開創から49年後であった。

 その年8月、炎暑はげしく、旱害各地に生じ、朝廷では諸国に勅令を出し、雨乞祈願をせしめられ
た。聖楽上人その撰にあたり、雨を祈られたところ、功績たちどころに顕れ庶民にその惠みにうるお
うこと多大、天皇いたくその功績を賞され、特に年号を寺号に用いることを勅許されて、正暦寺と名
づけられ、かつ勅願寺に准ぜられたという。
 降って平氏の盛んな時代、小松内大臣平重盛公、当山御本尊に深く帰依し、あまたの荘園を寄進
し、かつ当地の地形が紀州熊野の環境に酷似しているとして、熊野三山を当地に移し、山号を那智
山(旧須知山)と称した。これ当山山号の由来であり、当市内に熊野神社もあり、本宮、新宮等の名
称の町名が今でも残っている。


 大本教におきます新宮とか本宮は、平の重盛公がが熊野三山をこの地に移したことから始まって
いる地名なのです。
 すると、大本教の出口王仁三郎聖師の【素戔嗚尊】の名乗りも、その流れの中に生じていることが
解ります。

大本教出口なお開祖が崇拝した本興稲荷

 大本教の出口なお開祖は、本興稲荷を崇拝していたことが知られています。

本興稲荷は、藩主九鬼家の守護神
 本興稲荷は、綾部藩主九鬼家の守護神になります。
 大本教と九鬼神道をつなげるのは本興稲荷となります。
 綾部藩主九鬼家の菩提寺は地図上の「隆興寺」で、本興稲荷はその境外地になります。
 元々は九鬼藩邸の中に祀られていたのですが、明治維新後藩主が東京に移住するにあたって、
町の有志に委ねられて現在地に祀られたものです。
 大本教出口なお開祖が本興稲荷を信仰したとするならば藩邸内のものではなく、この地に移転さ
れてからの本興稲荷であったと思われます。
 しかし、それによって本興稲荷と九鬼家の縁が切れたのではないことは、下段の写真を見ると解り
ます。





 しかしながら、
大本教が出したウシトラとは、艮だけでなく[丑寅]もある
 すなわち、牛虎の神。ここから、出口なおは綾部藩の殿様で九鬼神道家の[宇志採羅]神を盗ん
だのではないことは証明されるのです。

鬼とは、頭でパンツの牛虎の姿
 
 悪神達によって節分の煎り豆で追われた神とは[牛虎]にあります。この牛虎とは何か?。本
来、鬼とは仏教で地獄閻魔庁の閻魔大王(正式には閻羅大王)の部下で、霊界で悪を取り締まる役
人のこと。羅王の卒。 
 明治時代の警察官(巡邏)を邏卒と言った様に、悪を取り締まる警察職の者人々が鬼は外と追
い払っているのは正義の存在なのです。 

節分の夜の鬼は外とは、悪を取り締まる存在を追い払う、悪に加担する行為を指す

福は内、鬼も内でないと行けない



インドでは、牛と虎は神の化身
 
 仏教はインドから起きました。お釈迦様が仏教を起こす前、インドにおける宗教はバラモン教でし
た。そして、仏教はインドのみならず全アジアへと広がって行ったわけです。
 しかし、お釈迦様が開いた仏教は小乗仏教と呼ばれるもので自分が修業を積んで悟りを開く道。
そうした意味では大衆レベルの信仰宗教とは言い難かった。そして、仏教の本家本元たるインドで
は改革バラモン教と言うべき大衆宗教のヒンズー教が起きて、大衆の支持を受けてインドから仏教
を駆逐してしまったわけです。
 私達日本人から見ると、仏教とヒンズー教の違いがよく解りません。日本の仏教にはヒンズー教の
神々も神として入り込んでいるからです。仏教もヒンズー教も元を辿ればバラモン教にと行きます。

 そのインドでは[牛]が神との化身として崇められていることは有名ですが、実は[虎]も神の化身
として崇められています。そして、驚くことに[鬼]も魔除けの神として崇められているのです。牛と虎
と鬼は神?。
 これは、どういう意味なのか?。

日本でも、鬼は屋根の上で魔除けの守護神として鬼瓦

 日本人の悪い癖は、自分で事の善し悪しを判断しょうとしないで、誰かが何かをしていると付和雷
同的に同じことをします。善悪のけじめが出来ない人が多いのです。それが、節分の夜の鬼は外の
煎り豆にも言えるのです。
最高神は鬼(牛虎)で
私達日本人に何を告げようとされているのか?



釈迦の祇園精舎と牛頭の神
 
 仏教を開かれたお釈迦様の根本道場は[祇園精舎]にありまた。この祇園精舎の守護神は牛頭
(ごず)天王と呼ばれていました。牛の顔をした天の王たる神。日本では、この牛頭天王は日本神
話の中の素戔嗚尊ではないかとされて、京都の祗園神社の御祭神は素戔嗚尊様となっています。
また、熊野における素戔嗚尊信仰しかり。本当に牛頭天王とは素戔嗚尊様であったのだろう
か?。
 お釈迦様が開いた仏教の源流を今も色強く残しているのはチベットや蒙古に見られるラマ教にあり
ます。こうしたラマ教を見ると、天地創造の神は太陽と月を従える牛の顔で虎の腰巻き姿。すなわち
牛虎姿の神。

 私の手元には、原始仏教で説かれた最高神を牛虎の姿で描いた物はありませんが、蒙古のラマ
教に伝わる仏教絵画には、頭が牛で腰に虎の毛皮を巻いた仏の絵が多数存在します。(内成就法王は
モンゴル国立美術博物館、外成就法王はボクドハーン美術館所蔵のものです。)

内成就法王
外成就法王

 内成就法王を見れば、腰に虎の毛皮をまとった姿が解るかと思います。外成就法王を見れば、牛
頭であることがはっきり解るかと思います。

 日本における牛頭天王が素戔嗚尊である説は、牛頭天王の下半身の[虎]を見ていなかったこと
から起きたと思われます。

お釈迦様の教えは、牛虎(鬼)の神から来ている

 大本教が艮(牛虎)の神とみろく神を前面に出した時、誰もその意味が解らなかった。だが、牛頭
で虎の腰巻き姿は天地創造の神を描いた牛虎だと解ると、お釈迦様の悟りと[みろく]菩薩ま
で連動して来ます。

鬼(牛虎)うで[魂]になる
 
大本教は節分の夜。鬼は内、福も内

人の肉体の中に存在する
 大本教そのものは、霊界物語の中で三五(アナナイ)教と示してあるように、お釈迦様が悟りを開
かれる前の状態と同様の教義で、本番はお釈迦様の悟りそのものを告げる大芝居。
大本教の演技は神芝居。本番は魂(心)を告げる教えなのです。



鬼と般若の違い

 日本の多くの神社や寺院で二月三日の節分の夜、鬼は外と煎り豆を打っています。この行事はい
つの頃から発生したのものか?。この風習は室町時代の公家の家から起きたとされています。それ
が公家達の間で広がり、やがては庶民に伝達されたとされます。それほど古い話ではないのです。
 何故、この鬼を節分の煎り豆で追うことが[艮]なのだろうか?。

人を恨(艮の心)むと、般若(鬼)面と化す

 日本人の大多数は表面上は仏教徒で、般若心経と呼ばれる御経を知っています。天台経、毘盧
舎那経、阿含経、華厳経、般若経、法華経、一切経(大藏経)等の御経から選び出されたお釈迦様
の教えを短く集約したもの。
 この般若とは、自分自身を省みずに他の人を妬んだり恨んだりすることで般若の面を被る者。
実際に霊界に関わると、こうした般若面姿の者は多数見られる。そうした般若となった者達に対して
説く御経が般若心経。一切が「空」だと教えてやらないと、そうした霊達には解らない。そうした霊は
[色]に執着して来たのです。俗に夜叉と呼ばれる者達も、こうした般若面を必要とする一員。
 そうした般若(鬼)面の者と、牛頭で虎パンツに金棒を持った者は別の存在。平の清盛が死の
病に伏せた時、地獄から鬼達が火の車で迎えにやって来る夢にさいなまれた。地獄閻魔庁の邏卒
達。公家(貴族)や権力者にとって、地獄から迎えにやって来る鬼は恐ろしき者。

 地獄の鬼が恐ろしいのならば、その前に自分を反省すべき。自分がした行為を反省しないで鬼
は外はないでしょう。逆に鬼は内。自分の悪いところは地獄の鬼に叱ってもらうべきことなのです。



大本教と出口王仁三郎聖師

 丹波の片田舎、綾部町(現綾部市)で発祥した大本教が世に大きく知られるようになったのは開祖
の出口なおにあるのではなく、二代目教祖出口すみの娘婿となった出口王仁三郎の功績に負うとこ
ろが多いのです。
 出口王仁三郎は近世日本が産んだ最高の霊能力者で予言者。出口王仁三郎の神霊力で大
本教は一時は戦前の日本国内の人口の一割近い信徒を持つほどで、皇居の前で白馬にまたがっ
て右翼の内田良平などと創った軍隊的組織昭和神聖会会員三千人の前で閲兵行為をしました。
 この当時、多くの高級軍人が大本教に入信し、海軍に至っては軍艦単位で大本教に代表を送る有
様だったのです。あまりの勢力の拡大に天皇制が崩壊すると恐れた時の政府は、大本教に邪教集
団の汚名を着せて大弾圧を行った。世に言う第二次大本教弾圧事件。
 戦前の日本で現神(あらひと神)とされる天皇家に対して、これほどの示威行動をすれば叩かれる
のは誰の目に見えています。何故にそのような無謀な行為をしたのか?。
 後日、大本教は裁判で治安維持法に関しては無罪判決を受けましたが、弾圧事件で信徒数を減
らしました。神殿はことごとくダイナマイトで爆破されました。カリスマ(予言や奇跡を行う超能力者)
性を持った出口王仁三郎死去後、大本教は信徒十数万人程度の弱小教団となり、かっての面影は
ありません。

 宗教を信じる最近の若い世代では大本教とか出口王仁三郎などは知らないと言う方達が多いの
ですが、世界救世教の岡田開祖や成長の家の谷口開祖など、多くの宗教開祖が綾部に集まって大
本教で学び育って行った。宗教界における名門性には特筆したものがあります。
 大本教を知らずして神を論じると間違えます。それは、これまでどの宗教にも意味が解らなかっ
た[艮]金神と[言霊]を世の表に出したことにあるからです。

艮金神とは[東北]金神、東北は[みちのく]で
未知の九(九の魔王陣)に、金神は隠れたまいた

艮の道=退


主の神の痕(艮病)跡は、艮にある

 昭和30年代40年代にテレビや雑誌で活躍された著名な霊能者の方と話をしていた時、その霊能
者の方は私に云われました。神霊世界を見渡した時、どこを見ても創造神がおられる痕跡が見つか
らない。しかし、神霊世界の構造を知るならば創造神が存在しないなど考えられない。これは、どう
いうことなのだろう?。人類はあまりにも自由勝手をやりすぎている。創造神は、人類がこれほど好
き勝手をすることを見逃しておられるのだろうか?。罰が恐ろしい。
 その著名な霊能者の方は更に私に云われました。やがて貴方は人類を人類が未だ見ぬ創造神
の元に案内されることになるだろう。それは、私が未だ神は言葉なりきの意味が解らなかった時の
話です。

 神霊世界に関わると、どの御神霊も主の神(国常立尊)を云われます。しかし、神々も主の神を見
ない。主の神はどこに姿を消したのか?。
 主の神の痕跡は[艮]にあったのです。すなわち、退くの[艮]の神だったわけです。大本教が
世に出した艮の字を見ていれば、主の神「国常立尊」様は退いていても存在するのが見えていたは
ずなのです。

 私が話をした著名な霊能者の方は、かって大本教の論客で知られた浅野和三郎氏の直弟子だっ
た方。浅野和三郎氏は、出口王仁三郎師を称して、あんな悪い奴はいないと自分の弟子達に云っ
ておられたと言われます。大本教の示しは、出口王仁三郎という化け物たる人物像を見ていた
のでは解らない。艮の字を見るべきだったのです。
 私の最初の導師であった方も、大本教の少年少女隊に所属していた方。大本教の出口王仁三郎
師のハチャメチャな行動に正義感から憤慨して大本教を飛び出した方。次の導師は、出口王仁三郎
師の直弟子だった方を先生とした方。私は大本教信徒ではありませんが、不思議な縁で大本教と
は結ばれています。幼い日、私は大本教みろく殿で遊び回っていたのです。



九つ花に咲く一輪の言霊の経綸

 大本教からは、大本教神諭(自動書記のお筆先集)と霊界物語と呼ばれる非常に長編の物語(俗
称・あほだら長い教)が発刊されました。
 現在の霊界物語は本篇が72巻73冊、特別篇が1巻、天祥地瑞が9巻。合計82巻83冊
構成されています。
 特別篇の1巻は、出口王仁三郎聖師が蒙古に救世主は源の義経(蒙古での名乗りは源の日出
雄)だと言って蒙古に渡った時のことが書かれています。
 ですので、後から付加されたもののようで、最初は本編の72巻と天祥地瑞9巻の81巻。
 この方が、[九の魔法陣]の仕組みとは合致して解りやすかったはずなのですが?。
 「いろは」の47音と濁音・半濁音の25を足しますと72音。

 この特別篇は、元は霊界物語第67巻に篇入されていたのですが、霊界物語から外されて出口王
仁三郎著ではなく、「上野公園」著で発表されたものです。
 現在は霊界物語に戻されて特別篇とされていますが、その扱いはどこまでも第67巻の代著の扱
いになっています。
 つまり、本来は第67巻でありながら特別篇なのです。ですから、霊界物語そのものは「81」巻とな
ります。

 一輪の言霊の経綸以外に、「67」の数字と「上野公園」と「義経」と「日之出」の意味を持った
特別の仕組みが存在するからです。
 
 その大本教の大本教神諭の中に、不思議な神諭が存在しています。
 綾部の九つ花は[誠]から咲く花であるから三千年の経綸をいたした。誠の人の世話でない
と、このお世話は出来んぞよ(明治31年旧11月5日)。
 一輪の火水(言霊)の仕組みがいたしてありて、綾部は三千年余りて神の仕組みの致してあ
る結構なところ(大正7年旧正月5日)。
 綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ(明治31年旧12月26日)。
 
 当然に大本教では、その「誠」の人を出口王仁三郎聖師としました。九つ花とは、大本教で神旗と
した九曜の紋所のことで、一輪の火水(言霊)は[ス]として、ここに[ス]の神論が成立したわけで
す。
 大本教の影響を受けた多くの宗教で[主]の神と書いて[ス]の神と呼ぶのは、全てこの大本教の
[ス]の神論の流れから来ています。
 しかし、出口王仁三郎が出した[ス]の神論とは、スの言霊は[いろは]の終わりで、実は全ての始
まりはスの言霊が始めだったとの説。始めにして終わりの神で[ス]神としただけです。

どこにも[誠]から咲く花の意味も出ておらず
お釈迦様の悟りを紐解いていない。

 それでは、みろく神の本当の意味は出て来ません。どこまでいっても三五(アナナイ)教の段階
で止まってしまうのです。
 大本教神諭が告げた九つ花とは、九曜紋ではなく本当は九の魔法陣。花としたことに意味
があり、花でないと意味が解って来ないとも言えます。



どの神も御存知ない一輪の言霊の経綸

 大本教神諭は、九つ花に咲く一輪の言霊の経綸に関して、世界に一人知りておる。この誠の
人が出て来んと解らんぞよ(明治31年旧12月26日)とあります。
 どの神様も解らなかったのだろうか?。

 大本教に在籍したのは僅かばかりの期間ではありましたが、元綾部藩の殿様であった九鬼男爵
から出口王仁三郎聖師等と一緒に九鬼神道の教えを受けたことで、宗教学的には大本教系の宗教
家とされ、後に神道天行居(しんとうてんこうきょ)を創立したのが友清歓真(ともきよよしざね)さん。
 この友清歓真さんは、ある神霊から大本教神諭が予告している九つ花とは、九曜の紋ではなく九
の魔法陣のことだと教えられ、縦も横も斜めの総和は三六九になるから[みろく]神で、真ん中の
41は永久に変わらない数だから天の御柱神たる天之御中主(古事記における創造神)様のこと
だと世に発表されました。

 しかしながら、その程度の答えであれば別に大本教からでも出せた答えで0点に等しいのです。
九の魔法陣の総和が三六九に成るからみろく菩薩では、どこにお釈迦様の悟りがあるのかと
なります。
 お釈迦様が悟られたことを[誠]で紐解いてこそ[みろく]菩薩であり、九の魔法陣を打ち破らずにお
釈迦様の悟りは得られないのです。
 しかも、大本教神諭は世界に一人と指摘したように、通常の神々を持ってして紐解ける様な生易し
い問題ではなかったわけです。そこには天地創造の神(艮金神・国常立尊)の計画書が存在して
いたのです。単に一宗教である大本教の問題ではありませんでした。そこには、全人類・霊界の全
魂の三千世界に関わる[命]の問題があるのです。

如何なる魔法の奇跡よりも
驚くべき仕組みが隠されている


東北は陸奥(むつ)

 大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界物語において艮金神を[東北]金神と書き記しました。確か
に艮とは方位のことで東北を意味します。だが、多くの人はあることを見落としたのです。

艮=東北=みちのく=陸奥=六
牛虎(鬼と云う)=魂=六根清浄
 日本神道と云うよりも両部神道(神仏混合信仰)において、盛んに六根清浄と呼ぶ祝詞が上げら
れます。天照大御神のたまわくから始まり、人の心の在り方が説かれて行くわけです。その終わり
の方において、吾が[身中主]安寧なり、あるいは五臓の[神君]安寧なり等と云い、その後に、安寧
なるがゆえに天地の神と同根なりと云います。
 すなわち、
私達の六根(胸)の中には天地の神と同根の存在が宿っている
 と説くのです。

 私達の六根(胸)の中には心(魂)が宿っているは、世界の全ての宗教が認知するところです。し
かし、天地の神と同根の存在が[身中主]として宿っているに関しては、祝詞を上げている人でも意
味が解っていなかったのではないでしょうか?。
 単なる魂論では、天地の神と同根の[身中主]の意味が解りません。

私達の六根(胸)の中に主は存在されているのです

 日本では西洋の様に全知全能の神、創造神が説かれていませんでした。

 私が逆に質問しましょう。
 貴方の魂は、観音様から授かったものですか?。
 お不動様から授かったものですか?。
 稲荷様から授かったものですか?。
 貴方は魂を誰から授かったのかと。

 為に、誰も知らない[未知の九]を紐解く必要があったわけです。なお、主の神を六合大神とも
云い、創造神を表す時に六(6)の字を使うのです。東北(艮)金神は、六(陸奥)まで見ないと意味が
解りません。出口直(なお)では、奥までは見せてはないからです。



美濃尾張の国から現れる女子

 大本教の出口王仁三郎は、自らを変性女子とか聖師と呼んでおられました。その出口王仁三郎
聖師は、霊界物語の第十三巻の信天翁(阿呆鳥)の中で、

 いま大本教に現れた変性女子はニセ物だ。まことの女子が現れて、やがて尻尾が見えるだ
ろう。時節を待っていたならば、美濃か尾張の国の中、変性女子が分かりたら、もう大本教もダ
メだろうと書き残しました。
 すると、それを自分のことだと思って、自分が本当の変性女子だと名乗る者が続出しました。そし
て、その証拠は自分は美濃か尾張の国の中で生まれた者だからだと言います。それは、単なる阿
呆鳥。信天翁の読み方知らずなのです。

イエスは最後(身の終わり)の時は、高山に登れと予言した

 その最後の高山とは飛騨の高山のことだと言い、飛騨高山に大神殿を建てた教団があります。
騨の高山に全人類を収容して救えるような高山などは存在してはいないのです。

美濃・尾張の国より高山に走る国道第41号線
 九つ花の真ん中の[41]で示す言霊が高山の道

大本教の演技は「いろは」の「168」は
熊野に入る国道第168号線(大和八木〜十津川〜熊野本宮〜新宮)なれど
高山は目指さず




お釈迦様の悟りを得る為の道、九の魔法陣
31
76
13
36
81
18
29
74
11
22
40
58
27
45
63
20
38
56
67
49
72
54
65
47
30
75
12
32
77
14
34
79
16
21
39
57
23
41
59
25
43
61
66
48
68
50
70
52
35
80
17
28
73
10
33
78
15
26
44
62
19
37
55
24
42
60
71
53
64
46
69
51


美濃尾張の国より、高山に向かって走る国道がありました
国道第「41」号線


 
この高山に進む道ならば、全人類を救うことも可能な高山となります
それを人々は忘れてしまっているのです。
 
 イエスは四十日間荒野を彷徨い悪魔を退け、四十一日目で神の御子と呼ばれました。
 四十一番目に入った時、その人は神の御子と成るのです。
 それは男子の型ではなく、女子の型であっても人ではないので「変性女子」とも云います。



出口王仁三郎聖師の名演技

 大本教霊界物語第十三巻・信天翁における大本教出口王仁三郎聖師のニセ者発言は、無論、出
口王仁三郎聖師が自分は救世主だメシアだと名乗って獅子奮迅の大活躍をしていた当時、霊界物
語に発表されたものではありません。
 霊界物語に追加記載された時期は、私は大本教関係者ではないので詳しくは解らないのですが
昭和10年3月30日の校正版がありますので、第二次大本教弾圧事件が昭和10年12月8日なの
で、事前に弾圧を予知して発表したとものと考えられます。
 この内容は、鹿児島の政治家であった床次竹二郎氏の弟、床次真広氏に渡した遺文たる手紙の
中に書かれたもの。すなわち、出口王仁三郎聖師の遺言状なのです。

問題は、出口王仁三郎がニセ物であるか本物であるかの論議でなく、
何故、霊界物語の第十三巻に載せたのか?

大本教は、[九つ花に咲く一輪の言霊の経綸]の九つ花を
大本教で神旗とした[九曜紋]のこととした。
そして、一輪の言霊を[ス]の神(言霊)とした。
スの神論が、真っ赤な[ニセ]型
[ス]は、アイウエオの第十三番目にある
第四十一番目の言霊が本物の火水(かみ)
たった一輪の言霊に秘密が存在している



高山には数々の高山あれど

 イエスが説いた最後は高山に上りなさい関して、日本でも指折りの宗教団体と知られている会の
会員さんが云われます。会長(教祖)様は高山に上る道は幾つもある。どの道(宗教宗派の教え)を
選んでも、高山の頂上にさえたどり着けるならばよいと説かれた云う。この宗教団体は性格が穏や
かな教団として知られています。
 確かに、何宗何教であろうともその教えで高山の頂上に上がれるのならば、この道で(我が宗派
の教えでないと)行けないということはないのです。他宗攻撃に明け暮れている他の宗教団体の教
祖(会長)様には痛い教えでしょう。
 しかし、高山は幾つもあるのです。いったい、何と呼ぶ高山に上ろうとしているのだろう?。もし、
違った高山に上ってしまったならば、その高山は降りて来なければならなくなるのです。

 大本教では、富士・鳴門神業を説きました。誰もが知っているように冨士山は日本一の山。日本に
はこれ以上の高山はありません。そうしたことからイエスが云ったとされる高山は飛騨の高山ではな
く、富士山だと説く方もおられます。

 大本教が云った冨士山神業は日本一の冨士山ではなく、綾部の藤山(冨士山)を云いました。通
称寺山。この藤山につながる山が四つ尾山で、大本教では世継山(四つ尾山)としました。大本教
が云った冨士山神業とは、次の世に継ぐ山(世継山)は不死(藤)の山であると説いただけ。

不死の山=富士の山
 富士山は古来は不尽(ふし)山とも云いました。終わりの時が無いという意味です。

神が示す高山とは、神の[息吹山]と云う
 この神の[息吹山]に上る道は、身の終わり(美濃尾張)の国から高山に上る[四十一]で示
す言霊が教えます。この道ならば、この道を行く者は不死の国・永遠の天国とされる神の御国
へと行くことが出来るからです。




大本教と素戔嗚尊の演技

 大本教神諭が予告した九つ花に秘められた一輪の言霊の経綸は、美濃か尾張の国の中から現
れる変性女子にあったとすれば、大本教は嘘の演技をしたのでしょうか?。
 嘘と言うよりも、大本教の出口王仁三郎聖師は救世主は素戔嗚尊だと称して演技をされました。
熊野の素戔嗚尊と言えば出雲の国にも熊野大社は存在しますが、一般的には紀州の熊野。熊野
に入る国道を第[一六八]号線と云います。

 一六八とはイロハ。大本教が出したのはイロハの教え。素戔嗚尊だけだとイロハの段階で止まっ
てしまいます。いくらイロハの四十八を持ち出しても、イロハの仕組みでは九つ花は紐解けないの
です。ここに大本教の限界があったといえます。

 それよりも大事なことは、大本教を通じて明らかにされたことではあっても、美濃尾張(身の終わ
り)より最後の高山に上がる国道は第41号線であり、大本教が演じたイロハの教えと熊野の素
戔嗚尊の熊野は国道第168号線にあるわけです。

 これらは単なる偶然の産物だろうか?。

偶然で出来る仕組みではないでしょう。
 それを理解するかしないかで 、大きく違ってくるでしょう。

 国道第41号線の終着は富(十三)山で、大本教が世に出した「ス」の大神のスはアイウエオの十
三番目にあります。そして、霊界物語の第十三巻においてニセ物発表が行われたのです。
 スの神論がニセ型。言葉でこうした仕組みを創るのには何千年もの月日がかかります。三千
年だろうか?。いったい誰がこんな仕組みを考えたのでしょうか?。 

世界で、言葉を創った神は創造神とされる

故に、~は言葉で示し申す。人は言葉を仰ぎ見よ


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